- ホーム
- 大会概要:日程/審査員
開催日時・会場
開催日時 | 2010年6月4日(金)~6月6日(日) |
---|---|
会場 | 大崎市民会館 宮城県大崎市古川北町5丁目5-1 TEL:0229-22-2649 東北新幹線古川駅下車徒歩10分 |
入場料 | 予選:1,000円 決選:2,000円 |
その他 | 大会開催期間中、特別協賛のフレッシュデルモンテ様よりゲイリーンストック女史も毎日食べてるというバナナを提供して頂きます。ロビー、楽屋等に置いてありますので、会場においでの観覧のお客様から、参加者の皆様まで、すべての方に自由にお召し上がり下さいませ。 是非、美味しいフレッシュデルモンテのバナナをこの機会にご賞味くださいね。 |
タイムテーブル
6月4日(金) |
|
||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
6月5日(土) |
(男女とも普段のレッスン着を着用のこと。男子は、ランニングとタイツ等。女子は袖なし及びスカートなしのレオタードとピンクのタイツ) |
||||||||||||||
6月6日(日) |
|
以下、現在確定している審査員の方々です(今後まだ増える予定です)。
Gailene Stock (ゲイリーン・ストック)
The Royal Ballet School (英国ロイヤルバレエスクール)Director, (校長)
オーストラリアでダンスのトレーニングを積む。そしてローヤルアカデミーオブダンスにより、スカラーシップを得て英国のロイヤルバレエスクールで学ぶ。その後、オーストラリアンバレエカンパニー及び、ナショナルバレエオブカナダ、ロイヤルウイ二ペグバレエで、プリンシパルアーティストとして、古典からドラマティックなものまでと数々の主役を踊る。そのあまりにも可憐で美しい踊りは人々を魅了する。
16年間のプロフェッショナルダンサーとしての仕事の後、オーストラリアのナショナルバレエシアタースクールのダイレクターを8年、また、オーストラリアンバレエスクールのダイレクターを9年、そして、1999年に、英国ロイヤルバレエスクールのダイレクターに就任し、今に至る。
彼女の功績は並々ならぬものである。
1997年、ゲイリーンは彼女の知識と経験、そしてその素晴らしい人間性が、世界中のダンスコミュニティーから常に求められ、国際的な賞賛を受けていることから、オーストラリア国家より、勲章としてOrder
of Australia を与えられる。
才能ある若者を発掘する目に優れ、また多くの素晴らしいダンサーを育て世界に送り出している。
また、彼女は、数多くの世界的なコンクール、スイスのローザンヌ国際バレエコンクール、ニューヨークのユースアメリカングランプリなどの審査委員長なども務めている。
新澤巌夫
新澤醸造店
杜氏 伯楽星(はくらくせい)の生みの親
新澤巌夫氏は、宮城県志田郡にある新澤醸造店の長男として誕生した。
学生時代に最年少で、利き酒師よりも遥かに難関な『利き酒名人』の称号を取得したまさに利き酒の天才である。また、東京農大醸造学科博士号も取得している。
そして日本酒の世界で初めて「食中酒」というコンセンプトを打ち出した人でもある。
新澤醸造店の創業は古く明治6年で、戦時中には、特攻隊の兵士が出陣前に飲むお酒を作っていた事もあり、当時はかなりの生産量であったそうであるが、新澤氏の少年時代にはすでに経営が傾きはじめ、大学を卒業して蔵にもどるころには、倒産寸前に追い込まれていた。その危機に直面しながら、彼は勉強をつみながら、納得する酒造りを目指し、奮闘努力するものの、途中、無理がたたり、闘病生活を余議なくされる事もあったが、やがて新澤氏が杜氏となって指揮をとった事によって蔵は大きな変貌を遂げていくのだ。そして当時まだ20代だった新澤氏の手によって究極の食中酒(伯楽星:はくらくせい)はこの世に生まれた。2002年に立上げられた特約店限定!の新銘柄のこの伯楽星(はくらくせい)は、彗星のごとく、全国の日本酒ファンから、注目を集めるようになった。
手にいれたいけれど、なかなか手に入らない、そして最高の味わいの日本酒、、、、、そんな伯楽星(はくらくせい)はますます人々の心のとりこにする。
20代の天才杜氏が作り上げた、魂の酒が、伯楽星(はくらくせい)なのである。
Anya Evans (アーニャ・エバンス)
English National Ballet School (イングリッシュナショナルバレエスクール)講師
ニューヨークに生まれ、4歳よりバレエを習い始め、当時より先生に高く才能を認められていた。13歳の時に、Ballet Russe Schoolで学び、その一年後、The
School of American Balletでトレーニングを積む。16歳の時に、アーニャは、メトロポリタン・オペラバレエカンパニーからトレーニングの為のスカラーシップを得るが、あえて、それを断り、ニューヨーク・シティバレエシアターでレッスンを積むことを決め、そしてそこで主要な作品を踊る。そして一年後には正式にアメリカンバレエシアターと契約を結び団員となり、アメリカをはじめ、多くのツアーに参加する。
そして1967年には、リンカーンセンターでの、パフォーミングアートの初日に、デヴィッドブレアープロダクションの白鳥の湖をきっかけに数々のメインキャストを踊るようになる。多くの舞台で喝采を受け、その後は、デヴィッド ブレアーの勧めにより、ロンドンフェスティバルバレエカンパニーのソリストとして活躍する。
1969年には、彼女の経歴が認められ、長年の夢であった英国のロイヤルバレエ団からラブコールを受けて入団、そしてイギリスをはじめ、ヨーロッパ各地で、数々の主要な役を踊り、絶賛をあびる。
1980年からは、ロンドンにて若手の指導にあたり、現イングリッシュナショナルバレエスクール講師として活躍。
Stephen Williams (スティーブン・ウイリアムス)
Central School of Ballet (セントラルスクールオブバレエ)講師
スティーブンはランベールスクールにてトレーニングを積み、そしてスコティッシュバレエカンパニーに入団、その後ダンサーとして、ジゼルのプリンスや、ロミオとジュリエットのティルバートなどをはじめ、たくさんの主要なキャストを踊り、プロのダンサーとして多くの舞台で活躍し、長身で魅惑的な実力派男性ダンサーとして人気を博す。
その後、ロイヤルアカデミーオブダンスのプロフェッショナルダンサーズティーチャーズコースを終了後、1992年よりセントラルスクールオブバレエで指導を始める。また、スペインをはじめ、世界各地で開かれるサマースクールのゲストティーチャーとして迎えられており、1999年からは、セントラルスクールオブバレエのボーイズクラスの主任となり、勉強熱心な彼は、2006年にはユニバーシティオブロンドンのパフォーミングアートを卒業し更なる高い資格を得ている。
実力派ダンサーとしての経歴を充分生かしながら、非常に勉強熱心でその評価は高く信頼を寄せられている。
山路瑠美子
山路瑠美子バレエ研究所 代表
新人の会 代表
東勇作 小牧正英に師事、東京バレエ学校開校と同時に入学。
バレエの魅力を伝え、日本のバレエ界に多くの貢献をしている。
ヴァルラモラ、メッセレル、タラソーワ、その他多くの訪日教師に師事、各舞台に出演し、そのエレガントな踊りで数々のファンを魅了する。
東京バレエ団教師、東宝俳優養成所教師、日本音楽高等学校バレエ科講師を歴任。代々木上原の山路瑠美子バレエ研究所主催、上原スタジオ、八王子バレエ団、生田教室 登戸教室 世田谷教室 相原教室 飯能教室、新座教室、これら都内近郊の自身のスタジオにて、直接生徒たちの指導にあたり、多くの若き才能あるダンサーを指導し、そして世界に羽ばたかせている。その真摯で温かい人柄から多くの人から愛され信頼を寄せられている。
新人の会主催
埼玉県舞踊コンクール指導者賞受賞。
また、ご自身の教え子が東京新聞コンクールにおいて文部大臣賞受賞、また、ローザンヌバレエコンクールをはじめとする数々のコンクールで受賞及び優秀な成績をおさめている。
大塚礼子
大塚礼子バレエスタジオ 代表
谷桃子バレエ団所属
(伯楽星カップ~ゲイリーンストックバレエコンペティションにてレッスン審査も担当)
山梨県出身
谷桃子バレエ団に入団後、白鳥の湖 全幕に出演。
1978年には文化庁派遣芸術家在外研修員に選ばれ、アメリカン・バレエ・ シアター・スクールに2年間留学。帰国後には谷桃子バレエ団のプリマバレリーナとして各舞台で活躍し、クールベール振り付けのロミオとジュリエットで、ミッシェル・ブルエルと共演し絶賛を博す。また、1982年には芸術選奨文部大臣新人賞受賞し、その後、台北公演では白鳥の湖全幕を公演、そしてパリ、中南米などで創作バレエ(蝶々夫人)等などにも主演する。
1990年服部智恵子賞受賞、その後、深川秀夫バレエの世界にて「火の鳥」を踊る。また、(火の鳥)(カルメン)を主演。2006年には、橘 秋子賞「助演優秀賞」受賞
日本人離れした容姿とプロポーションに恵まれた本当に綺麗なバレリーナで、その上、古典から、創作ものまですべての種類のバレエを踊りこなす、天才肌のバレリーナとして活躍。
Ian Jones (イアン・ジョーンズ)
ピアニスト
英国 Royal College of Music 教授
イアン・ジョーンズ氏はイギリスの国立音楽大学のロイヤルカレッジオブミュージックでスカラーシップを得て学んだ。彼はチャペルゴールドメダルをはじめ、数多くの賞を受賞し、また、数多くのスカラーシップを得て、イギリス国内だけでなく、フランス国家からもスカラーシップを受賞し、パリでも学び、そして、カウンティスオブマンスター及び、イアンフレミングミュージカルトラストから受賞も受け、アメリカで勉強する機会にも恵まれた。彼はMaria
Curcio,や、 Gyorgy Sebokそして、Phyllis Sellick, Jerome Lowenthal, Martin Canin さらに Alain
Planèsなどの数々の教師陣から学び多くの影響を受けた。 彼のデビューは1992年、ロンドンのロイヤルフェスティバルホールにて、ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番を弾いたことから始まる。各新聞の批評は、その類まれない表現力、そしてその技術力、そしてエレガントな音の響きに圧倒されたと絶賛。
1993年にはリーズ国際ピアノコンクールで輝かしい成績をおさめ、世界最高峰のピアノメーカーのスタインウエイアーチィストとして、イギリス、ヨーロッパ各国、アメリカで演奏を重ねる。また、ロンドンのロイヤルフェスティバルホールとバービカンホールにて、ロイヤルフィルハーモニックオーケストラと、ナショナルシンフォニーオーケストラと共に、ラフマニノフのピアノ協奏曲の第一番、二番や、ベートーベン、チャイコフスキー、シューマンなどの曲を演奏して賞賛を受ける。
またイギリスのBBCラジオでのパフォーマンスをはじめ、数々の映画やテレビプログラムなどでも演奏を披露している。彼は、イギリスのAssociated Board of
the Royal Schools of Music の試験官でもあり、またその試験内容を決める、コンサルタントする役目も担っており、また様々なコンクールの審査員もつとめ、また世界中で数々のマスタークラスの指導もしている。また、彼はピアニストとしての才能だけに留まらず、その指導力にもかなりの定評があり、熱心で、彼の生徒たちの多くが、スカラーシップで音楽学校に入学し、また、国内および国外のコンクール等で優秀な成績をおさめ、世界で活躍しつつある。
イギリスの作曲家Rebecca Clarkeと一緒に仕事もしており、彼は重要な役割で、共にCDもだしている。また、少し前にロンドンインディペンデントレコードよりリリースされた彼のソロのショパンのCD(Chopin:
Summer in Nohant)は、世界中の音楽関係の記者達の言葉によれば、
(イアンの奏でるショパンの曲は真珠の煌めきのさざめきのような素晴らしさがある、それは非の打ちどころがない)等、絶賛された。